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松竹はまちがっている

なぜ欧州向改編版が収録されたのか?

◆2000.5.21 「これは違うのではないか?」

 待ちに待ったDVD発売だった。
 いったいこれはどういうことなんだ?
 中身が私たちが劇場で見たものと違うとは!
 なんと、DVDおよびビデオに収録されている「御法度」は、海外向けに一部セリフを追加された改編版だったのである。
 だいたい欧州向け改編版(仮称/便宜上以降改編版とする)というバージョンがあること自体、私たちはカンヌ映画祭開催まで知らなかったんだから、当然国内上映版が収録されていると信じていた。
 はっきり言って「虚偽表示」である。パッケージには「1999年12月18日公開作品」とちゃんと書いてあるではないか。

 改編版の是非はこの際どうでもいい。発売元松竹は
「この内容はあなた方が劇場で見た御法度と一部内容が異なります。よろしいですね?」
と告知するなり、パッケージに表示する義務があるはずだ。封を切るまで、ファンは誰も知らなかったなんて。国内すでに映画館で100万人見ちゃっているのに、今さら黙って中身を差し替えるなんて、こんなことが通るわけがない。

◆じゃあ、なぜ国内向けソフトに改編版を収録したのか? 事情がわからないので推理してみる。

1)監督の指示?
 ……よもや信じらんないですね。すでに国内100万人に見せちゃって、ブルーリボン賞とか文化庁の賞とかもらってるのに、今さら改編版をお売りします、なんて監督が考えるとは思わないけど。
 もし監督の希望だったら、止めなさいよ松竹。「そんなことしたらファンから文句が来ますよ」

2)国内用と海外用をわけて作るのが手間で、改編版に統一した?
 つまり経費節減、または「セリフ一個くらいどっちでもいい」と思っていた?
 でも2バージョンあって、どっちをDVDに落としますか?ってのに、どっちを収録すればファンがよろこぶかわからなかったとしたら、ちょっとそれはソフト会社としては問題だ。

3)社内の連絡ミス?または作業ミス?
 パッケージが「1999年12月18日公開作品」となってて、中身と一致しないのは、もしかして案外単純なミス? 途中で誰も気づかなかった?
 5月発売のソフトは他にもたくさんあることだし、あり得ないことではないだろうが、組織として考えるとヒジョーに問題。

 いずれにしても、少なくともファンに内容を告知しなかったことについては、怠慢としか言い様がない。

◆すんだことはこの際どうでもいいことにしよう。問題は今後のことだ。
 私はどうしても映画館で見た「御法度」あれと同じものがほしい!
 DVDを買う心理というのは、映画館に通ったときのあの時の私の感動や思い出をいつまでもとっておきたい、DVDのような色あせることのないメディアの中に封じ込めて……。そういう気持ちなのだ。だから映画館で見たものと同じでないと意味がないのである。
 いったいどうするつもりなのか?松竹。
 いじめるつもりはないけど、こっちだって命懸けて映画館通ったのよ。私は20回以上見たけど、「いずれDVDで見られるから映画館は4回でがまん」した人はどうすればいいの?

 愛を勝手に変形した松竹の罪は海より深く、山よりも高く、重い。


果たして国内劇場公開版は手に入るのか?

◆2000.5.25 「私は劇場公開版DVDが手に入るなら、 さらに何千円か積んでもかまわん、と思っているんだ。松竹、私の思い、遂げさせてくれ!」

 今回は、国内公開時のバージョンDVDがリリースされる可能性について考えてみる。
 一番のハードルは経済性だ。
 改編版はたった一場面のセリフしか違わないわけで、これのためにわざわざもう一度プレスし直そうと松竹が思うかどうか、はなはだ疑問である。「ファンの望みはかなえてやりたい」と担当者や社長が思ったとしても、経済的に見合わないことはできない、それが企業というものなのだ。
 そもそも、このたった一場面のために買い足す人も、どのくらいいるのか?
国内公開版を望むというのは、採算のとれないかもしれないものを出せと営利企業に要求することになるわけで、どっちかというとそれは無理な相談だ。

◆それでふと思ったんだけど、カンヌの写真、赤絨毯とかフォトコールとかキシードの(ただの写真でいい)……とか収録されていたら、買う人ふえるんじゃないかな。
つまりレアで、しかもファンから文句の出ないようなお宝映像ついたとしたら、どうだろう?
 採算とれるくらい売れるなら、国内版プレスということもありではないか?
 カンヌの赤絨毯の写真は持ってないなら、ビーチのプライベートフォトとか、ツーショット、スリーショットなんかあればね。

 ファンを喜ばすなんて、簡単なことさ。


やっぱりわかってなかったのね、松竹

◆2000.5.26 「しっかりしたまえ!松竹」

 昨日付けで、松竹のコメントが出た。>>>DVD&ビデオ掲示板でのご指摘の点について

 発売から約1週間、大の男が集まって話しあってもこのくらいしか言えないのが企業というものだというのは、それは察する。私は自分は大企業にお勤めしたことはないけど、むかーしこの種のことで某球団と格闘したことがあるので、それは実感としてある。動かないのではなくて、動けないのだ、企業組織というものは。

 しかしこの文面でファンが納得すると思っているんだろうか?
 海外向けに改編版がこしらえられた、という事情はわかった。監督も改編を承知しているのもわかった。事前に告知しなかった非を認めたのも評価しよう。
 でも、なぜ国内販売に誰も見たことがない改編版が収録されたのか?については、釈明がない。

「しかし、皆さまのご意見を伺い、劇場公開時のものを支持していただいてる方が多数しらっしゃることを改めて認識し」

 そうか、やっぱりわかってなかったのね……
 担当部署がただずさんなだけなんで、説明しようがなかった……と思われても文句言えない釈明文である。
 もっとも、セリフが1ヶ所でも変わると作品としては別物だという認識は、クリエーターでないとわからないものかもしれない。松竹はクリエーターを採用して会社を運営しているわけじゃないからね。
 それにこのコメントは表ページにはのせてない。あくまでボードをみて騒いでいる人とメーリングリストの一部の熱心なファン向けでしかない。
 基本的に松竹の意識は「どうしてセリフ一個で騒ぐのかわからない、だって同じじゃないか?」なんだろう。
 普通、ウォークマンでもなんでも製品が同じ名前でバージョンも変らないのに改良されてくのは当たり前だ。スナック菓子やジュースもそうだ。

 それと同じ感覚で映画ソフトをリリースしているとしたら、それはものすごく問題だ。>まちがっているぞ、松竹


映像ソフトの時代

◆2000.5.27 「君は何かを取り違えている」

 暴論を覚悟で言わせてもらうけれど、どうも松竹は映像ソフトを購入する客層をあまり理解していないのではないか、という気がする。

 もしかしたら、松竹にとって映像ソフトはレンタルなどの業務用が主力で、一般の消費者は少ないのかもしれない。だから今まで「セリフがちがう」とか「パッケージがちょっと気に入らない」とか「映像特典はどうした?」なんて、ファンからダイレクトに文句が来ることがなくて、今回のことで多いにびびっているってことはあるかもしれない。(あくまで憶測)
 今まではそうだったかもしれない。あの膨大な寅さんシリーズを全部買い集めるのは一部のコアな映画ファンとかプロの評論家くらいで、よほどのファンでもレンタルですますだろうとは思う。

 しかし「御法度」はちょっとちがう。
 この映画の奇妙なところは、いわゆる従来の映画ファンではない、サブカルチャーから流れ込んできたファンがついているところである。美少年映画という側面や出演俳優の個性的なルックスは、TVゲームやマンガ、あるいはビジュアルバンドいったサブカルチャーに棲息する映像ファンに大いに支持されているのである。欧州ではまだ公開されたばかりだが、昨今の日本製のゲームやアニメにすでに席巻されている土壌なら、まちがいなく「御法度」は若い子の支持を集める、と私は読んでいるのだけど。
 そしてこの新しい映像ファンは、従来型の映画ファンとはちょっとちがう。
 どこがちがうか?というと、
 映像ソフトを買い集める。そのために、いくらでも金を使う。

 松竹の、特に会社の偉い方々は、映像ソフトのなかった時代の人間だ。
 映画はかつて「見に行く」ものだった。
 近年はレンタルの普及で、映画館で見る人よりも、レンタルで見る人の方がはるかに多いと思うけれど、私に言わせればレンタルもやはり「見に行く」映画感覚だと思う。
 DVDやビデオを買う人は「映画を見に行く人」とはちがう。昨今の映像ソフトを買い支えているのは、新しく出現した人種・映像おたくなのだ。
 松竹はここがわかっていない。
 5000円もするものを、中身も見ないでぽんと買う人なんて絶対にいない。間違いなく一度映画館で見ているのだ。そのうえで、映画館で味わった感動や想い出を、いつまでも色あせることのないディスクで自分の本棚に保存しておきたい……と考える。映像おたくの典型的な行動様式である。
 彼らは「記憶と感動をメディアに保存しておきたい」のである。
 だから、最初に見たあの「御法度」と同じものでないとまったく意味がないのだ。たとえ改編版の方がすぐれていたとしてもだ。

あなたの一言を活かす場はこちら
劇場公開版『御法度』DVD(ビデオ)発売要望するページ


改編の是非を敢えて問う

◆2000.5.28 

 さて、本日は、たった1場面のセリフ改編の是非について述べたい。

 私は敢えて、今までこれについては書かなかった。
 映画は何億もの巨大な資本が動く産業で、映画会社だって企業であるから、営業という側面も当然ある。買い付け先の要望にある程度応えざるを得ない状況などがあるのかもしれない。私は企業人ではないから、そこらへんはただ想像するだけだけど。
 この程度の理解は御法度ファン誰にもあることで、海外向けに一部セリフなどを改編したバージョンが作成される、ということについてとやかく言うつもりはない。多分私だけじゃなくて、たいていの人は納得できることだと思う。

 しかし、松竹のコメントのここは変だ。
「国内公開時に一般観客からわかりにくいという声があり、外国での試写後、海外配給関係者からよりわかりやすくしてほしいという強い要請がありました。」
 この表現はちょっと問題だ。海外からの要請で一部改編したというのはわかるが、「一般観客からわかりにくいという声があり」というのはいったい何?
 しっかりしないさいよ、松竹。それは「映画の感想」である。クレームじゃない。
 私も初めて見たときは、あのラストは全然わからなかった。エンディングスクロールの最中しばらく考えて、「ああ!そういうことか…」と納得したわけで、多分あそこは原作を読んでから出かけても「え?」と思わせられる場面なのだ。
 わかりにくい表現は、決して「不良品」ではない。
 そんなこと映画会社が一番わかっているはずなのに、このコメント読むと、バグ修正のつもりだったのか?と言いたくなる。バグ修正の意識だったとしたら、そのまま国内販売しちゃうことになんの疑問もなかったことになる。
 憶測でものは言いたくないけど、このコメントは私をますます疑心暗鬼にする。
 ああ、松竹。
「御法度」はブルーリボン賞とか文化庁のなんか賞とかもらったんじゃないのか? それを改編して国内販売しちゃうなんて、絶対にまちがってるぞ。

 ついでに言わせてもらうと、この改編部分の出来はちょっとひどい。技術的なことはようわからん素人から見ても、もうちょっとやり方はなかったのか?と思う。これこそバグだと私は思う。



 

松竹の選択肢

◆2000.5.29

 すんだことはもういい。文句はいろいろあるけれど、そんなことをいちいちあげつらっても私たちは得るものはない。
 問題はこれからのことだ。
 私たちは、はたして日本劇場公開版DVDを手に入れることができるのか?

 松竹の選択肢は4つだ。
1)ごめんなさい。再プレスするに見合う経済性がありません。ごめんなさい。とひたすら謝り倒す。
2)これが正規版です、と開き直る。
3)なんか付加価値をつけて、国内公開版を再プレスする。
4)経済的に見合わなくても再プレス。

 もっとも理想的な結末は、3)国内公開版再プレス である。
 事実として言わせてもらうけれど、早々と他で予約しちゃったのに、某店で購入すると龍平くんのトークショーに御招待、とか聞かされて、重複買いをしたファンだっているくらいである。ファン心理をくすぐる何か付加価値をつければ、必ず売れるものなのだ、この種のものは。ましてや「国内版がほしかった」という声は多いのだ。
 お宝映像とか特典とか、なんらかの方策で枚数を稼ぐことは可能ではないか?
 前にも書いたように、ファンをよろこばすなんて、超簡単なことなんだよね。

4)は、たとえば、××枚限定。個人通販のみ…みたいなやり方だ。
 採算のとれるプレス数がいくらかは素人には見当がつかないが、業務用と店頭販売はなしの、直接販売だけみたいな方法は不可能だろうか?
 昔「海のトリトン」というアニメで、BGM集を自費制作で出させたのを、見たことがあるんですよね。レコード会社から出ないもんだから、ファンクラブが中心となって作曲家やプロダクションの承認を取り付けて、自費制作版?みたいなのを出させたのだ。ジャケットは確か真っ白だったとような気がするけど、それを友人に見せられて私は大変ねたましい気持ちになったことをよく覚えている。値段はとんでもなく高かったが、それでもうらやましかった。

 最悪のシナリオは、2)だな。

 1)が一番やりそうだなあ。やだなあ。

 このDVDだけど、メニュー画面のデザインとかけっこう凝ってて、予告編集とかインタビューとか、必要なものも全部収録されている。本来なら私はここに
「おもしろいし、かっこいいし、パーフェクトだよ」
とコメントするはずだったのに…


正岡さんにつきあって映画館で一回観た中学生男児の言い分

◆2000.5.31

 全然わかりやすくなってない。どっちが斬られたのか、やっぱりわからない。それに、近くでしゃべっているような声は変。
 前の方がましだった。


アートにベターはない

◆2000.6.5

 しかし、今振り返ってみて、なぜあそこは改編されなければならなかったのだろう?

 映画というのは、映像表現が社会に及ぼす影響を考え、実際のところ様々な制約がある。
 とりわけ性表現やグロテスクなホラーについては年齢制限があるものだし、差別や偏見を助長し事実を誤認した内容であると、それは議論になる。
 様々な事情で画面に修正を加えられ、あるいは一部内容を削除された例は、私もいくらか聞いたことがある。
 しかし「御法度」にはそのような、社会的に不都合な個所は一切ない。
 一番気がかりであり、ひょっとかするとヨコシマな輩が期待していたかもしれない閨房の場面も、15禁ですらなかった。派手な斬り合いで人間がスプラッタ〜な場面もない。なんたって「御法度」は大手映画会社のお正月映画なのである。
 その上、お上から賞までもらっている。
 世に隠れもない真っ当な作品なのである。

 それなのに、何を好き好んで改編しなくてはならなかったのか、私にはさっぱり理解できない。後からあそこ一ヶ所いじることに何の意味があるのか?

 そもそも、どっかいじって作品がよくなるなんてことはあり得ないのだ。
 OSやプログラム、あるいは家電製品ならば、バージョン1.0よりも1.1の方が性能も使い勝手もよくなっているはずだ。
 しかしアートにそれは絶対にない。
 アートなどというものは、あとから手直しするもんじゃない。世にお披露目した作品が、それがベストなのだ。それが完成品だから世に出したはずだ。
 仮に、社内の試写の段階で「わかりにくい」という議論があったとしても、結局あの形で世に出したのではないのか。改編は公開前にすべき仕事だったはずだ。

 松竹はやっぱりまちがっている。
 一度完成したものに手を加えることを、故事成句でこう言う。
「蛇足」
 えらいねえ、昔の中国人は。

 追加となったセリフが「沖田さん」でも「田代さん」でも、「浅野さん」だったとしてもだめである。たとえ、田代と惣三郎のえっちしーんが追加となっていたとしても…(^_^;) やっぱり私は「劇場公開版をよこせ、松竹はまちがっている」と言わなければならない。
 アートというのはそういうものである。
 


男のなりたい職業ベスト3
プロ野球の監督・オーケストラの指揮者・映画監督

◆2000.6.7

 クラシックファンの話をしよう。

 私は、今でもいくつかお気に入りのLPがある。
 そのひとつが、70何年だったかにグラミー賞をとった、ショルティ&ボストン交響楽団の「ツアラツストラはかく語りき」である。「2001年宇宙の旅」で使われたあの有名な曲を全曲聞こうと思い、たまたまレコード屋にあったのを無造作に買ったものだ。
 しかしこれがものすごく気に入って、テープにダビングして、それこそ何度も何度もテープがすりきれるほど聞いた。「ツアラツストラ」のLPはたくさんあるだろうが、今その一部を聞いただけで、絶対にこのLPだけは聞き分けられる自信がある。

 私はそれほど熱心なクラシックファンではないけれど、たいていのファンにはこういうこだわりがあるはずだ。
 仮に今、昔プレスされたLPの名盤がCD化されるとしたら、あれがほしい…という逸品は必ずある。さっきの例でいえば、あのショルティのあの「ツアラツストラ」がほしい!ということである。他の指揮者ではだめであるし、同じショルティでも違う時期に録音されたやつではだめである。あの時の、あのLPがいいのである。

 クラシックに限ったことではないが、音楽CDには普通、「録音日」「指揮者」「楽団名」「録音場所」が必ず明記してある。同じ指揮者と楽団の演奏でも、時期が違えば当然演奏も違うからだ。何年ごろのウィーンフィルのコンサートマスターが誰それの頃が好き、とかそういうこだわりで聞くファンだっているくらいだ。
 仮に「ツアラツストラの冒頭のとこ、自分的には気に入らないんだよね、ちょっと直しちゃおう」なんてことを、ショルティ先生といえどもしていいと思うか?
 指揮者はショルティだが、演奏したのは当時の楽団だし、それをLPにした技術スタッフがいて、それをグラミー賞という形で評価されたのである。

 映画はそれとどこがちがうというのだ?

(余談)そうそう。ホロヴィッツの「月光」LP。あれと同じやつをCDで見つけたときは、もんのすごく嬉しかったなあ!


この改編部分で壊れてしまったのは沖田だ!

◆2000.7.25

 「御法度」はただでさえ謎の多い作品である。登場する場面は意外なほど原作に忠実であり、セリフもほとんど原作そのままである。
 つまり必要以上のセリフがないのである。
 改編が加えられた最後の場面も、改編前は実は驚くほど原作に忠実に描かれていた。「惣三郎が沖田に懸想していたのか」という人間関係の部分は原作とは異なるので、ここの土方のモノローグが追加されているだけで、あとは小説と全く同じ。
 そもそも「御法度」の映像美とは、御大司馬遼太郎の無駄な粉飾を廃したキレのいい文体をそのまま表現しているのである。
 この場面、セリフが追加されているのは惣三郎である。
 改編部分はこうなっている。
 「化け物め」土手にたたずむ土方の場面。惣三郎の何気な「沖田さん」というセリフに続いて、シャキーンという金属音。そのあとに多分惣三郎の断末魔の声が……(でも誰の声がよくわからない)それが不自然な音で土方の映像に被っている。
 ここは元々は、遠くに聞こえる惣三郎の断末魔の声だけだった。
 最初の版でも非常に唐突な印象で、沖田は何をしに戻ったのか、もしかしたら瞬時には理解できないかもしれない。忘れ物でも取りに行くような顔で引き返した沖田の用事とは、実は惣三郎を斬ることだったのだ。しかしこの場面、原作でもそこらへんははっきり書いてないのだから、わからない人はわからないで終わってしまう場面かもしれない。
 「御法度」は見る人に考えることを求める硬派な作品なのである。だから私は劇場公開時のバージョンで十分よいと思っていた。
 多分、この追加音声部分は「惣三郎が沖田に斬られたことを明確にしたい」という意図があるのだろう。(でもそんなことは台本の段階で考えるべきことだったと思うし、観客もバカじゃないからちょっと考えればわかると思う)
 だけど、私はこの追加部分は非常に問題だと思う。
 なぜなら、惣三郎と田代の関係も一切見えずに肝心な部分がわからなかったように、沖田と惣三郎の関係も最後の最後まで謎のままである。私はこの映画はそこがすごいところだと思っている。映画は基本的に土方視点であるから、土方は肝心な部分を一切見ていない。だからあれこれと想像するしかないのである。
 特に、沖田と惣三郎は劇中には人間関係が出てこない。
 だから、惣三郎の最期も、沖田に斬られたのだろうと想像はつくが、その場面を誰も見ていない。だからどんな風に死んだのか、最初のバージョンでは全くわからないから、それは観客が想像するしかなかった。
 しかし改編部分でそこが壊れてしまった。
 音声から判断すると、惣三郎は沖田の顔を見ていることになる。何気なセリフの印象からは殺気がないから敵だという認識がなかったようだ。しかし金属音がするということは、惣三郎も剣を抜いて一合渡り合ったということだ。そして絶命する時、あんな絶叫をするなんて、いったいどんな斬られ方をしたんだ?
 私に言わせれば、なんて無粋で余計なお世話な演出だろうと思う。
 惣三郎はこの映画の主役ではあるけれど、内面的にはさっぱりわからない人物である。ましてや沖田との人間的な設定は劇中でははっきり出ていない。だから最期の場面でも、沖田に斬られるとわかってて斬られたのか、あるいはいきなり後ろから斬られたのか、それとも真剣勝負をしたのか、元のバージョンではよくわからない。実は原作でも惣三郎の最期ははっきり書いてないのである。
 だからそれは惣三郎や沖田というキャラをどう考えるかで、観客それぞれに想像してよいことのはずだった。
 私は先に劇場版を見て、自分なりにあれこれ想像しては考えていたので、このDVD収録の改編版は非常にシラケるというか、本当に無粋で許せないものがある。
 私は田代ファンであるけど、すでに死んじゃってる田代にはこの改編部分は直接関係ない。
 だけど沖田ファン(というか惣三郎×沖田ファン)はもっと怒るべきである。
 この改編部分で想像の幅を狭められているのは惣三郎×沖田ファンの方なのだ。
 私は少なくとも、沖田は惣三郎に剣を抜かせないで斬ったと思っていたので(チャンバラ映画のかっこよいお約束)ヒジョーに幻滅した改編部分だったのである。

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劇場公開版『御法度』DVD(ビデオ)発売要望の件及び
衛星・ケーブル・地上波テレビにおいての劇場版放送推進の件について

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2000年カンヌ報道はまちがっている

◆00.8.1

 ちょっと用があって、カンヌ関連のワイドショーとかの放送のビデオ録ったやつを見返したのよ。
 もーれつに不愉快だっら。いったいこれって何? なんで某姉妹報道といっしょくたになっているの?
男キャスター「某姉妹のそちらでの評判はどうしですか?」
 なってるわきゃねーだろ! ばっかじゃねーのか?テレビ朝日!
 そりゃね、フランス人のカレシと滞在中の元アナさんには「お幸せにね」と思うし、某姉妹だって仕事でカンヌに行ってるのは承知しているから御苦労さんと思うし、ワイドショーのキャスターだって台本通り進行しているだけだと思うのよ。
 だけど、この時間帯、この番組を誰が見ているか知らないけど、いくら家でぼーっとしている主婦がバカだとしても、「なんだ?そりゃ」って思わないわけねーだろ?
 なんかすごく疑問なんだけど、某姉妹を見たいと思っている視聴者って、ほんとにワイドショーを家庭で見てる主婦?
 どんなに世間知らずでも、「御法度」という映画が外国の映画祭に出品されてる、ということくらい理解できるわけで、女性タレントが画面に出ればことさら映画祭に関心を抱くというものでもないだろう。
 それで思ったんだけど、某姉妹を見たい人って、本当はメディア関係者とかの男の人なんじゃないの? 例えばスポーツ新聞を買うのは男の人だよね。男だったら、脈絡なくても肌をあらわにした女性の写真があれば、なんかそれだけでもいいんじゃないの?(文句を言う男はいない) なんか露出趣味の服を着た乳のでかい女を画面に出したくてしょうがないのか。
 そもそも奇妙なのは、本来まったく無関係のはずの某姉妹を芸能マスコミこぞって「御法度」以上の大きな扱いをしていることである。
 貴重な資材と時間を使ってわざわざ報道してやっているとしか私には見えない。報道されたい芸能人、されるべき事件なんていくらでもあるのに、なんで某姉妹かというと、これは某姉妹を売り込もうと現地に送り込んで報道させている何らかの意志(事務所とか)があるんだと思う。
 いいんだけどね。せいぜい目立って売れるといいわね。
 でも私はすっげー迷惑だったのよ。録画したビデオにいちいち某姉妹が割り込んでくるのが、すげームカツクのよ。これって映像と情報の暴力よね。某姉妹にはなんの責任もないのはわかっているけど、まちがっても彼女らにはいい感情は抱けないし、ワイドショーにつきあった私の時間を返してよ!>TV局!という気分だわ。TV局なんて金輪際信用しないからね。
 やっぱりうちのTVはゲームモニターなのが正しい使い方なのよ。

 追記/あんなに大騒ぎして、彼女らの仕事はヌード写真集〜?


続 松竹はまちがっている

http://www.shochiku.com/gohatto/bbs/gosetsumei.html

ああ松竹、だがしかし松竹

 劇場公開版のセルビデオが出るらしい。
 まあ、おわび価格…というか、ほとんど実費徴収みたいな値段は一応評価しよう。
 だけど、ちょっとひっかかる。
「音声の一部を修正したところ」
 修正というのは、よくない点を直して正しくすること(by 学習国語辞典/学研)という意味である。やっぱりあれは「修正」のつもりだったのか?凸(`_')
やっぱり松竹はなんかまちがっていると思う。

DVDとビデオの採算ラインは知らないけれど、DVDでほしかった。
 「孔雀」のDVDがお宝物映像満載で-----カンヌの時の映像とか------
私はこの映画、正直言って趣味に合わない映画なので買うつもりはなかったんだけど、そういう映像も入ってると聞かされて、そりゃちょっとでも浅野ファンなら買わないと…(と注文中)

 こういうファンのツボをついた色気が松竹にないのは残念でならない。ソフトウェアを買う人の心情がイマイチわかってない。あんなに盛り上がっていた公式webサイトがあったのに、このファンの盛り上がりがソフト制作の方には活かされなかったということだ。
 webサイトは結局企業には飾りでしかないのかな。

「セルビデオ発売の件」のコメントの読み方

 全体の大意は、特にこれといって言うべきことはない。結果としてビデオの再発売を決断したのは、企業としての最低限のメンツを保ったと思う。
 ただ私はこの件に関して手放しで「松竹ありがとう、よかったね」とはどうしても思えない。ぬぐいきれないさまざまな疑問は依然残ったままだし、結果として松竹は何も言っていないのだ。

1)なぜ改編版が収録されたのか?
 これは一番最初からの疑問だった。
欧州向けに、買い付け先からの要望もあったのかもしれないが、結末をわかりやすくしようという意図のものとに、改編版が作られたのは周知の通りである。海外で上映されたものはそっちのやつである。
 だけど海外で上映しているやつを、国内販売用のソフトに収録したのはなぜなのか?
 私はここがわからない。これに関しては何も説明がなかった。

 2)「御法度」は2バージョンあるという認識がないのか?
 今回のコメントで一番ひっかかるのは「修正」と「公開時の音声に戻した」という文言である。
 そもそも「修正」とは、悪いものを良くすること----という意味であることはさっきも書いてあるとうりである。
  ということは、このコメントは
「公開時に不完全だった、あるいは不適切だった映画を、よりよく直したものを発売した。でもお客さんから前の方がよかったと言われたので、直す前のやつをビデオで発売します」
ということを言っているのである。
 私は現代国語は自信がある。こういう意味になるのである。

私は「修正」だの「元に戻す」だの、この考え方そのものが間違っていると思う。
修正でもいい。しかし一度いじったら、それは改編前と後、2バージョン存在するということなのだ。どっちがいい悪い以前に、「御法度」が二つあるというのが現実なのだ。

3)やはり海千山千か(^_^;)
 そもそも発売当初からの謎なのだけれど、このコメントが中川氏の名前で出るのはなんでだろう?
 この中川さんという方は、御法度のEDスクロールにプロデューサーとして名前のある方で、たぶん松竹のエライ人なのにちがいない。「御法度」の制作にはすごく重い立場にあるのだろう。
 で、この改編の問題は2つあって。
(1)なぜ改編されたのか?
(2)なぜ改編版を国内発売したのか?
 ここで消費者にとって問題なのは(2)だと思うのだ。
 さっきも言ったように、なぜ改編版を国内販売したのかは松竹はコメントしていない。中川さんて方は、DVDのおまけ映像のコンテンツは何をいれようとか、そういうことまで携わったのだろうか? ソフト制作の責任者ってのはいないの? 
 よくわからない(^_^;)
 5月時点のコメントで、私は「何をぼけたことを言ってんだろ」と思ったものだが、よく考えたら、大企業のエライ人ともなれば、わしら女子供なぞ相手にならないくらい海千山千に決っている。ひょっとするとこれはわかっててぼけているのかもしれない。

とにかく買う

 いずれにしても買うので、ひととおり言いたいことは言わせていただいた。
ご静聴ありがとうございました。

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