| 映画は言語では説明できない 映画作品を言葉で語ろうなんざ、野暮の極みである。 百万言尽くしてもまだ足りないようなことが、映像であればほんの一瞬のワンカットですべて終わってしまうのだ。 私は長年アニメファンをやっている経験上、何度か監督さんや演出家さん、あるいは作画さんとお話する機会があった。そういう時いつも感じるのは「映像作家は何も考えていない」ということだ。何も考えていないというのは的確な表現ではない。「言語でものを考えていない」。 例えば、このカットの後にこのカットがこういうアングルでつながって、それからカメラがパンして…… このセリフのときに顔がアップになって何秒静止… どうしてそういう風に絵をつなげたのか?と尋ねたとしても、多分それは答えられないと思う。映像作家の脳みその中には最初から完成フィルムのイメージが流れていて、その通りに作っているだけなのだ。(これは作曲家も似ていて、最初からフルスコアで音楽が脳みその中を流れているらしいのだ) このイメージが何なのか、なんでそんなことを思いついたのか、言語で説明できるくらいなら映画監督は最初から小説家になっていたはずだ。 そういうわけで、私は「御法度」の映画解説などをする気などさらさらない。 ただ、見終わった私のもやもやしたこの感情はどうしてくれる?とは言いたい。この映画で私の中で何かが激しく動いたのは事実だ。それが何なのか、自分なりの答えを私は探している。 「御法度」を見て、私の魂は旅に出たのだ。 |
|
映画館に足しげく通う私はなんとなく田代の気持ちがわかるような気がしていた 初めて見たその日は午後5時からの上映で、日曜日の渋谷というのに映画館は混んでもいなかった。だから「ひょっとしてこの映画って評判よくないんかな?」などと思ったりして、上映開始を待っていた。 |
| 「御法度」は松田龍平につきる 極論を述べれば、この映画はこの新人俳優に尽きる。 もちろん、他の役は誰でもいいとは言わない。武田さん、浅野さんが現状考えられるベストの配役であるし、大成功だったと思うけど、技量のある役者さんだったら他の方でも様にはなったはずだ。土方役もしかりだ。 しかし加納惣三郎はそうはいかない。この役を誰がやるかで、まったくちがう映画になったはずだ。惣三郎のイメージがそのまま映画の雰囲気を決めてしまうからだ。 そして監督は、この大役にまだ誰も見たことのない男の子を連れてきた。 なんだかそれはわかる気がする。この役はTVなんかで見慣れたありがちな顔ではだめなのだ。 そしてスクリーンに現れた松田龍平は、背が高く男の片鱗を見せながらも顔は子どもで、端正な目鼻立ちや柔らかい頬や顎の線がまるで雛人形のようで、ほんとに錦絵か役者絵から出てきた若衆のようだった。しかも顔がきれいなだけではない。特に目、鼻、口のつくりが印象的で、他に比べようのない個性があるのだ。私は思わず安田靫彦画伯の絵なんかを思い出したりしていた。 いや、顔は親からの遺産だから、それはほめてもしょうがない。 驚かされるのは、映画の前半と後半で顔がまるで変わってしまうことだった。 この役はほぼ全編出ずっぱりである。黙ってカメラの前に立ってればすむような役ではない。最初にいきなり殺陣から始まって、ロケありセットあり、野郎同士の閨房のシーンまである。ちなみに殺陣は登場人物中、一番回数が多い。それを最後までやるというだけでもすごいのに、話が進むにつれて顔もぐっと華やかになっていくのである。特に湯沢と料亭に行ったあたりからは、私はほんとにきれいだと思うんだけど、もう男の子だか女の子だかどっちだっていいような気がして、とても不思議な気持ちになった。 その不思議な気分は、主題曲を聴くとますます増幅される。 教授のインタビューの内容から判断すると、撮影現場で実際に松田龍平を見てから書かれたことはまちがいない。また映画の中での使われ方からしても、映画作品のというより、松田龍平@加納惣三郎をイメージした曲なのである。もし加納が松田龍平じゃなかったら、当然ちがう曲になっていただろう。 もちろん人には好みというものがあって、松田龍平がどうしても気に入らないというのは仕方ない。しかし彼がこの加納惣三郎役の中でこんなふうに劇的に変化していくのを見逃した人は、この映画を見たとは言えないな。 |
| 「御法度」はやおい映画である 「衆道」という古風な言葉にだまされそうになるが、ずばり「御法度」は「衆道」でもゲイでもホモでもない。 これは「やおい」映画である。 私は、実は監督のお孫さんとかにコミケに行ってる子とかいて、一緒にやおい本とか読んでいるのか?(^_^;)と思ってしまったくらい、この映画は「やおい」というカテゴリーにぴったしあてまっている。 <やおいの法則> 1)えっちは顔でする。 やおいの当事者は(受けも攻めも)かならず二枚目である。二枚目でなければえっちはしてはいけない。醜男は醜男であるだけで敗者である。 2)出てくる男は全員主役(受けキャラ)に惚れる。 3)主役(受けキャラ)が何を考えているのかよくわからない。 主体性がなかったりして、複数の男と関係を持つのはお約束。 4)カップリングの順列組み合わせがある。 御法度の例でいくと、田代×惣三郎、沖田×惣三郎、惣三郎×沖田、土方×沖田などなど、見る人の好みによって、なんでもあり。作品は特定のカップリングを強制しない。 5)男だから惚れるんじゃない。たまたま惚れた相手が男だった、という愛の論理がある。 実は「衆道」の映画という期待は大いに空振りだったのだが、「やおい映画」ではあったので、そこは大いにツボだったです。私らが同人誌で描くとしょーもない内容だったりするのですが、さすがに撮る人が撮ると芸術に…… いったい私たちは今までやってきたことって…… 私はしばらく同人描く気が萎えていました(笑) それにしても御大、若い女の子のハートをつかむとは、まだまだお若い。恐れ入るばかりである。 |
|
「御法度」はこんなにえっちだ(^_^;) 1)かわいい顔と和服を着た体に欲情する 2)16才の男の子が初体験 3)全部想像する |
|
児童ポルノ法で「御法度」(^_^;) 児童ポルノ法について。(原文>>>児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律 ) 「一 児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したもの
「性器」の定義は第二条2項に「性器、肛門又は乳首をいう」とはっきり書いてある。 今突然思ったんだけど、松田龍平は昔で言えば前髪がついていてもおかしくない年齢なわけで、実際お顔も年齢相応にかわいらしい。だから顔を眺めて「かわいい」と感じるこの映画は、衆道的には正しいのかもしれない。 |
|
続「御法度」は松田龍平につきる 演劇経験のなさははいかんともしがたい。でもそれはそこらへんのアイドルを連れてきてもたいして変わらないだろうし、そもそも彼は演技で採用されたわけではない。この映画は龍平くんの生撮り映像に私は価値を見ている。この男の子が生まれて初めてカメラと大勢のスタッフの前でライトを浴びていることに意味があるのだ。 松田龍平が美少年に見えないという意見だが、それって単に自分の男の好みを言ってるだけじゃないの。 最初に私が龍平君をスクリーンで見て、あっと思ったのだけど、思い出したのは日本画だった。伝統的な日本絵画では(浮世絵とか春画も(^_^;))本当に映画の中の龍平くんに似ている。かつての講談社の絵本(そうそうたる大家が描いていた)の「曽我兄弟」「源義経」なんかも思い出した。 もうひとつ付け加えておこう。私も映画を見るまでは、松田龍平をちっとも美少年だとは思っていませんでしたな(^_^;)<パパよりもハンサムだなとは思ったけど |
|
観客がきれいだと感じるシーンは、撮影側もキレイだと思って撮っているのは、宇宙の真理である 私はかなり以前、とある特撮番組のおっかけをしたことがある。 「御法度」の料亭の場面に話を戻すが、突然あそこでキレイに見えたのはなぜなんだろう? |
| 美男三剣士を考えてみる 最初にこの映画の配役を見て驚いた。 ビートたけし、武田真治、浅野忠信は一人で主役を張っても客が来るような役者である。それが、たけしさんは一歩引いたような傍観者の役だし、武田さん浅野さんは新人俳優のお守り(笑)である。(出演者名が、トップがビートたけしなのは当然として、その次が松田龍平で、武田も浅野もその後なのだ) そのうえ撮影スタッフは美術も音楽も世界の○○と枕詞がつくような人ばかりだ。 どうだ、世界の大島だからこんなすごいメンツが集まったんだぞ、とでも言いたげなスタッフスクロールである。 豪華な才能が集まったのは、それは監督の御人徳だろう。 しかし主演に松田龍平を持ってきたのは、紛れもなく監督の意志であり、趣味である。 この役は3年前の企画当初は公募だった。多分何千と応募があっただろう。世の中には、顔がきれいで演技が上手い十代の俳優なんでいくらでもいる。それをオーディションもなしであっさりさらっていったのが松田龍平だが、彼のどこがそれほど監督のお気に召したのか、私は映画を見て初めて納得した。 多分、監督の頭の中には日本の伝統美術のようなああいうイメージが広がっているのだろう、と思う。 監督は最先端を来たと豪語しているが、最先端というのは人とは違う独自性、という少数派である。だから日本の古典的美意識は現代人には逆に目新しく、海外からみるとそれは千年王国日本だけの偉大な遺産である。 実は龍平くんは、意外にも浮世絵などに出てくる顔によく似ている。私もこっち方面は好きなんだけど、本当にこういう顔って世の中にあるんだとちょっと感激ではあった。だからヨーロッパではジャポニズムな美男として評価されると思う。 それと余計なことだけど、案外日本人の男の人にもかわいく見える顔なんじゃないかと思う。痩せ細って頬がこけた顔はかわいいとは形容しないし、化粧した顔も不思議なほど違和感がなかったしね。 それで話の本題だけど、最初に決まったキャストが龍平くんだったということはよく知られている。とすると武田、浅野の選抜の動機はなんだろう? 龍平くんの採用の根拠は言うまでもなく原作にある。加納惣三郎という変わった役のイメージだ。この役にふさわしいルックスと雰囲気…が選ばれた主な理由である。 では沖田や田代の役に合わせて二人は選ばれたのか、というとそれは多分違う。 彼らは10年は芸歴がある俳優であるから、どんな役でもできないことはない。それに田代役はこんなに美男子である必要はない。 じゃあ話題性や人気で選ばれたか?というとそれもちがう。20代後半の俳優でもっと好感度の高いのは他にもいる。 だから、これも趣味の顔を選んだと私は思う。 前にもちらっと描いたけど、松田、武田、浅野の3人には共通する顔の特徴がある。多分がそれが監督の好みにぴしっと合うのだろう。 もうひとつ考えられるのは、それは龍平くんとのバランスだろう。 武田さんも浅野さんも主演女優?の相手役だ。龍平くんが引き立たないというのでは意味がない。ハンサムで有能であることはもちろん大事だが、絵的にお似合いであることはもっと大事なのだ。(こんなことはマンガを描いている奴には誰にでもわかるわな)もちろんこれは湯沢役の田口さんにも言える。 食事の献立にも一汁三菜のような好ましい組み合わせがある。いくらおいしくても、煮魚とスパゲッチとキムチでは邪道なのだ。 龍平がマグロの刺し身(^_^;)なら、浅野は白い飯、沖田は赤だし、そして田口が日本茶である。だからおいしいのである。 もしも惣三郎が龍平くんではなかったら、武田沖田と浅野田代ではなかったかもしれない。これはそういうことなのだ。 |
|
没カットを想像する 私は長年のアニメファンなのだが、アニメでは後者の事情はよく聞く。アニメはコンテどおり絵を起こすので、撮り直しをするなら技術上の問題だけだが、もし辻褄の合わないストーリー展開とか、唐突な場面展開に遭遇したら、完成後何かの場面が削られていると思っていい。それはたいてい時間の都合だったりすることが多かったなあ。 ところで、撮影したものの没になったのとか、撮り直しした場面とかは、ちょっと気になる。たいていの場面は一回でOKを出したと思うけど、ラブシーンはアドリブ的な部分もあるし、主演女優?が不慣れということもあって、絶対に撮り直しをしているはずだ。 |
|
若い俳優はいいよね。大画面アップがきれいでさ ただ言わせてもらうけど、「御法度」で描かれたやおい的要素は、わしらは二十数年前からやってることで、今日の少女マンガでは常識的な題材である。それを世界の大島が撮るまで誰も手を付けなかった日本映画は(少なくとも私は聞いたことない)やはり何か欠けている気がする。一度コミケットに来た方がいいかも。>映画会社の社長さん |
|
続・美男三剣士 田代彪蔵の読み方 それと最近予告ビデオを見ていて気づいたのだが、背か高いというのもこの役の絶対条件だったはずだ。 さっき田代はこの映画のためにわざわざ作られたキャラと書いたが、龍平@惣三郎のためにわざわざこしらえた、と訂正させていただく。単体でも存在しうる沖田とちがって、田代はあくまで惣三郎の相手役。惣三郎あっての田代なのである。 |
|
続・美男三剣士 田代彪蔵の読み方その2 ところで、浅野さんの今まで作品を何本かレンタルで見た。それで思ったのは、田代というのは浅野さんにはちょっとめずらしい、ひょっとすると初めての役柄だったようだ。 |
|
続・美男三剣士 田代彪蔵の読み方その3 別に田口さんに不満があるわけではないぞ。 それはひょっとして「えっちシーンは浅野には任せられん」ということなのか? |
|
今度こそ最後(^_^;) 田代彪蔵の読み方その4 カタログとか見ると、田代のキャラ紹介にはこう書いてある。 |
|
余計な一言 田代彪蔵の読み方その5 田代さんは男専門じゃなかったのだとわかった。 |