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「御法度」解説第3弾
私は「御法度」をこう読む



 一言で言って、この映画は不条理に充ち満ちている。
 すべてが愛おしく、残酷で、謎である。
 結論を先に言うならば、「御法度」では明快な解答というものがはっきりと語られていない。だから見ようによっては、ああもでない、こうでもない、なんとでも見えてくるような気がしてしまうわけで、結局は自分をこの作品のどこへ、あるいは誰へ投影するかで解答も違ってくる。しかし本当にそれで正解か?と問われたら、正解だとどこにも書いてないし、不正解であると指摘されることもない。
 だから迷う。
 誰が見ても必ずこのエンディングにたどりつくという一本道の筋立てだったら、どんなに楽だったろう。ただ作り手の主張のままに「あっそう」ですませられたし、こんなことをうだうだ書こうという気にはならなかった(笑)
 私は今まで、映画というのは一方的に球を投げてくるピッチングマシンのように思っていた。ストレートでもカーブでも、こちらはミットを構えてキャッチしてもピッチャーに投げ返す必要はないと思っていた。たまに「今の球はなんだ?コラ」と投げ返したくなるような映画に出くわすが、それはたいていビーンボールで、見るんじゃなかった…というものだったりするのだ。
 しかし今回ばかりは死ぬほど重いデッドボールだった(笑) だから私はこうして今、被害届(笑)をしたためているのである。

 期待もなく「御法度」も見た直後の感想は、おもしろいのか?つまらないのか?なんだかよくわからなかった。
 ただ上映中、画面から片時も目を離すことができず、あっという間に1時間40分だったことは確かだ。そして場面ごとの1枚1枚の絵の印象が強烈だった。それだけにいったい何だったんだ?という気持ちが、一晩寝てからも抜けなかった。
 まず物語がよくわからない。なぜ?どうして?何があったんだ?
 筋立ては土方視点である。なのに土方は傍観者でしかなく、ここで語られる事件はすべて伝聞推定で傍証がない。
 たとえば、話の発端となる田代と加納の関係だけでも謎だらけである。田代がマジだったのは簡単にわかることだが、加納の方はどうだったのだろう?
 最初に加納と関係を持ったのはどうも田代のようだが、それでも噂の域を出ていないし、二人がまともな会話をするのは最初と最後だけだ。これで二人の関係を観客はみんな納得したのだろうか?
 加納は本命は沖田だったというが、じゃあなんで複数の男と関係を持ったりしたのか? 不可抗力ならまだしも、自分から山崎を遊廓に誘ってわくわく出かけたりしている。それで逃げ出したチキン山崎に斬りかかったりしている。いったいこの子は何を考えているのか?
 田代と加納の斬り合いの直前、沖田の口から「菊花の約」が語られる。ここでこんなふうに観念的に衆道を美しく語るなんて、いったい沖田の真意は何だろう? 加納に懸想していたのか?いないのか?
 念のために原作を読んで確認したが、余計にわからなくなっただけだった。映画でも原作のセリフや場面はほぼ再現されているが、当然ながら原作にないセリフや場面も盛り込まれていて、原作とは別物なのである。
 わからないのは物語だけじゃない。キャストもである。
 例えば、武田真治扮するところの沖田は、実際に見るまで信じられなかったがあまりにもハマリ役だった。ほとんどの新撰組ファンが「そうそう。沖田ってこうなのよ!」と納得するような、沖田そのものだった。
 原作では醜男のはずの田代彪蔵役は浅野忠信。実は私はこの人が優しそうな好青年を演じているCMしか見たことがなかったのだが、これがまた実にクラクラくるほどいい男だったのだ。
 この二人のキャストだけでも相当個性的で、ゲップが出そうなくらい満腹感があるのだが、残念なことに劇中の登場時間はあまり長くない。重要な役なのでスタッフスクロールでは名前が大きいが、
「それで田代はどこいっちゃったの?」
「武田真治ちょっとしか出てないんだもん」
とファンに言われちゃうくらい物足りない。どうしてこれしか画面に出てこないのだ?(原作どおりなんだけどね(^_^;))
 さらに言うなら、新選組の隊服もとってもかっこいいし、セットもステキだし、チャンバラもあったし、えっちな濡れ場もがんばったけど、でもやっぱり「これで終わりなの?」ってくらい物足りないのだ。
 いや、表現が過激ならいいというものでもないと思うけれど、ああ、もうちょっとこの世界に耽溺していたいと思う人はどうすればいいのだ? みんな、この1時間40分で満足できたのか? それとも私が欲が深いのか?
 ひょっとしてこれは、悩める観客を欲求不満に陥れて映画館に日参させたり、DVDソフトを買わせたりする大島監督と松竹の陰謀なのか?(^_^;)

おたおたするオジサンたち

その1/近藤勇
 私が始めて新選組・近藤勇の名前を知ったのは確か「鞍馬天狗」だった。(NHKで高橋英樹がやったやつ。超大昔)学校で歴史を習うより前のことだ。
 その時の印象は、剣だけは強い新選組は卑怯な悪役?だが、それでも近藤勇は鞍馬天狗と正々堂々と剣の勝負をしたがっている奴で、強者は強者を知るみたいな役だった。
 しかし「御法度」の近藤は一度も剣を抜いてない。「新選組」を知らない人には、チャンバラが強い役だとはわからないだろう。だって、この近藤勇は最初から最後まで加納の話をして終わるのだ。
 いきなり加納くんを自分の小姓にご指名。さらに「加納は誰かとデキたのか?」などと、そんなに気になるなら本人に聞けと思うのだが、劇中では再三土方に聞いている。まるで自分の課に若くて美人のOLが配属されて、誰かとえっちしたのか? 今つきあってるカレシはいるのか?なんてそわそわしているセクハラ部長みたいである。
 今気付いたのだけど、彼は加納の話題をなぜか土方ばかりに振っている。顔を合わせれば加納の話をしていたような気すらする。
 この映画は土方視点になっているのでうっかりしていたが、近藤から土方を見た場合、
「おいおい? 歳さん。どこ見てんだよ。だいじょぶか?おい」
なんて風だったのだろうか?
 そう考えると土方が思わず抗弁してしまった「始末したまえ」の言葉も、井上に「あなたもその気が…」と言うのも、ちょとした近藤の意地悪だったのかもしれない。知らんぷりしてるようで、このオジサンてば……。
 最後に田代を惣三郎に討たせようとするのは、なんかやっぱり中年男のひがみに見えてしまって怖い。普段は人がよさそうでも、こういうところで底意地の悪さを見せつける上司って、ひょっとしてあなたの会社にも……?

その2/土方歳三
 物語の視点という意味では主人公だが、最後まで一歩引いてて当事者にはなろうとしなかった。ビートたけしみたいなアクの強い役者をあてたにしては、ちょっと変わった役柄だ。
 「御法度」のオジサンキャラは全員そうだが、加納惣三郎に対してどこか腰が引けていて誰も本音を語ろうとしていない。自分で自分をごまかしているのか、あるいは自分でわかってなくて無意識に言ってるのか。
 オジサンは人生の強者なので、そこらへんの本性は見せないように生きているものだ。
 土方は最初から最後まで、ものわかりのいい保護者であろうとしているように見える。近藤から「惣三郎は誰かとデキているのか?」と聞かれても、その度に答えをはぐらかしてまともには答えていない。惣三郎の立場を擁護しているつもりなのだろうか。意外とやさしいようにも思えるが、あるいは自分が知りえた惣三郎の情報をしまっておきたかったのだろうか。ちなみにこれらの近藤とのやりとりは、原作とは異なる。
 道場で田代と惣三郎の関係に気付いて、「そういうもんか」と去っていく後ろ姿は、なんだか恋の敗者のような何となく淋しい中年男だ。土方からすれば、新選組には強い男、器量のいい男、地位や金のある男はいくらでもいるのに(土方を含む)、惣三郎が選んだのは見てくれはいいかもしれないがつまらない若い男(田代のこと)だった。
 ちなみにこの場面、原作とセリフもまったく同じだが、受ける印象が全然違う。原作ではただ単に衆道関係について知識を得て納得しているだけだが、映画で見ると、若くてハンサムな田代が噂通り、惣三郎の相手だったことに納得している中年男の図なのである。
 山崎にあれこれと支持するのも岡目八目のような立場でえらそーにしているが、実際には自分がそこへ身を置いたわけでもないくせに、伝聞、臆測、推定で「衆道の嫉妬はすさまじいものらしい」なんてわかったふうなことを言っている。
 そして結果的には田代を犯人だと断定したのは土方の間違いだったかもしれない。当日のアリバイくらい調べろよ、というつっこみは置いておいて、結局近藤には最後まで田代の名前を言わなかったことも含めて、田代に対する土方のなんだか複雑な気持ちを見る思いがする。
 近藤との絶対的な信頼関係のちょっとしたズレ、判断ミス、沖田に指摘されるような惣三郎への視線。それは色香に迷った土方自身の不覚なのだ。その上最後の後始末は結局沖田に任せたりしている、あまりかっこよくもない役回りだった。
 史実での土方はもっとうんと若く、多分この劇中では30歳ちょっとすぎのはずである。だから史実どおり若くて二枚目の土方ならば、保護者面したようなこの役はなんとも萎えた感じで不似合いだったかもしれない。
 最初に土方がビートたけしだと聞いて、そりゃちがうだろ〜!(何と言っても年齢が)と思ったものだが、若い男に関心を持ちながら自らをそこへ投げ出すようなことまではできない中年男の役は、それはそれで納得のいくものがあった。映画のエンディングスクロールの流れる中、あの何とも言えないもやもやとしたおさまりのつかない理不尽な気持ちは、多分土方の気持ちそのものかもしれない。
 最後の桜のシーンだが、原作の結びではこうある。
『胸中の何を斬ったのか、当の土方自身にもわからない。』
 人間は迷う生き物なのである。

その3/井上源三郎
 劇中では四十過ぎとなっているが、江戸時代では四十ともなれば孫の一人や二人がいて隠居していたりする年齢だ。現代に当てはめればこの役はもっと上になる。なんとなく窓際族風といったところか。
 ひょんなことで知りあった惣三郎にしきり声をかけ、道場で稽古の相手をしたがる。小川亭への道すがら、故郷の村の狸や狐、芋畑などの話を聞かせる。
 実は原作ではこのエピソードは実は惣三郎ではなく別の人物なので、惣三郎が妙にマトモな好青年になってるのはいいとして、映画の話の流れでは、井上は自分の隊の所属でもない惣三郎にしきりに声をかけていた理屈である。
 そんなに若い子と話したいか?オジサン。
 そう。話したいのだ。えっちさせてくれなくてもいいから、一緒にお食事とかしたい。同じ場所の空気だけでも吸いたい。どうもオジサンはそういう生き物なのである。
 井上は成り行き上とはいえ、ひょっとかしたら生きて帰れない所へ惣三郎を引っ張っていくことには成功した。しかし死に損なった。近藤さんには下心を見透かすような嫌みを言われ、それは笑ってごまかすしかなかった。
 こうして井上さんのささやかなアヴァンチュールは終わった。
 土方、近藤、井上、このオジサン同士のバトルは、この映画の芸の細かい見せ場ではある。

その4/山崎蒸
 山崎は、土方ら「チキンなオジサン組」と田代ら「いっちゃいました組」のちょうど中間に位置する役柄である。
 彼は仕事で惣三郎に接近したものの、途中でヤバイと思っている。近藤や土方のように「自分はその気はない」と頭から信じ込んでいるのとはちがって、「俺、やばいかも……男でもイケそう」と自覚がある。
 途中で惣三郎にふらふらいってる自分が自分でわかっている点では裏も表もない明快な役どころで、しかし行動は起こさなかったのでオジサン組に留まった。
 島原の道行きでうっかり踏み外していたら、彼にも田代や湯沢のような運命が待っていたということだろうか。
 劇中では「いや、いかん」と軌道修正しては笑いをとっていたが、実はけっこうオイシイ役だったかもしれない。大阪なまりの標準語も味わい深かく、トミーズ雅氏起用はうなずけるものがあった。

愛に殉じる男たち

馴れ初めから葬式まで/湯沢藤次郎
 田口トモロヲ氏扮する湯沢は、スタッフスクロールでは名前が小さいし、パンフレットでも十把一からげの扱いだが、実は劇中ではかなり目立って非常に印象深い役である。なんたって濃厚なラブシーン(死語?)が二度も出てくるのだ。すごいだろー。
 ただの脇役ではない。れっきとした惣三郎の相手役なのだ。
 登場するなり蛮声を張り上げ、料亭ではロングカットで長々とセリフを言った揚げ句、口説き文句を聞かせ、そして惣三郎を押し倒す。惣三郎と相合い傘で歩き帰る雨中のシーン。嫉妬に燃える顔。そして問題の濡れ場。最後には雪の中でぶった切られて血飛沫を上げる。
 惣三郎との馴れ初めから、閨房の様子、無残な最期、ついでに葬式の模様まできっちり描かれているし、過激な場面も多く印象に残った。事情はどうあれ、一途に思い入れ命を落とす男の役だ。裏も表もなく、この映画の中では一番理解しやすいキャラクターである。
 やはり一番の見どころは閨房のシーンかな。
 エロ映画じゃないし、相手はマグロ同然の新人俳優だし、しかも未成年で童貞のお子様ときてるから撮る映像にも制限がある。(児童ポルノ法。)はっきり言ってここは湯沢さんにお任せの場面だった。
 最初から最後まで、カルト俳優?としての技量の見せ場の連続だった。
 私は「明けの烏」の告白シーンが実によかったと思う。
 オイシイ脇役である。

普通の男は絶対真似をしてはいけない/田代彪蔵
 最初にくれぐれも言っておくが、世の男性諸君は田代風ナンパ術は絶対に真似をしないように。あれは浅野忠信がやるから「ステキ」で通るのであって、普通の男がやったらただの痴漢である。髪とヒゲを浅野忠信風にしてもだめである。
 そのへん時々激しく勘違いしている人がいるが、人間には向き不向きというものがあるのだ。

 映画が始まって、田代彪蔵が出てきた時は「えっ?」となった。
 嘘だろ?おい。ハ…ハンサムじゃん。ま、美少年の相手役だしなあ、どうせなら男前の方が見栄えするし〜、などと思いながらドキドキして見ていた。
 するとこの田代、とんでもない男だった。
 入隊したその日二言三言惣三郎と会話をし、その夜は惣三郎の肩に手をかけたものの何もせず寝顔を見てすごし(ひょっとして徹夜?)、翌日から隊規違反で5日間牢にぶち込まれて、牢から出てくるなり惣三郎を口説くのである。
「そうか、さびしかったか? 今夜忍んでいく」
 いきなりそうくるか?
 観客の私も呆気にとられたが、劇中の惣三郎もかなり混乱したのではないか。
 しかもタコ部屋状態にも係わらず、夜中に本当に布団に潜り込んでくるのである。ちょっと待て。なんて無神経な奴だ。(でもちょっとドキドキ)
 田代が何の疑問もなく夜這いを実行するということは、いつもはこの手が通用したということだ。そりゃもちろんこんないい男を拒むなんて、普通はそんなもったいないことをするわけがないから、それはいいだろう。外見がちょっと硬派っぽいわりに、恋愛に関しては速攻勝負だったのである。
 実は、ここまでで描かれている田代は原作にはない。
 このハンサムで強引な田代像は映画独自のものなのだ。監督が最初から考えていたのか、配役が決まってから修正したのかは謎であるが。
 ただ田代と惣三郎が普通の会話をしているのは、ここまでなのだ。
 原作がそうなっていると言われればそれまでなのだが、実は田代と惣三郎の関係は土方の臆測や隊内の噂で「デキている」と言われるだけで、具体的に二人の関係は説明されていない。一切絵がないのだ。同衾している絵どころか、日常会話すらない、一緒に歩いている絵もない。この二人が本当に関係があったのか、あるいはあったとしてどんな風に思いあっていたのか、全然わからないのだ。
 もっと言うなら、噂どおりとすると田代は惣三郎を落とすのに一ヶ月もかかっている。いきなり夜這いをかけてくるような男が付け文をして口説いたとは思えないので、やっぱりその後も何度も夜這いをかけて無理やりねじ伏せたのか? それとも「あれしてあげる、これもあげるから」と言を弄して口説いたのだろうか? それすらわからない。
 湯沢の場合、明け烏の口説き文句もあれば、まぐろになった惣三郎と同衾している場面もあった。
 せっかく原作をねじ曲げて?二枚目俳優を採用したのに、田代にはラブシーンはないのである。なぜだろう?
 田代とどういう間柄だったのか全然描かれていないというのは、それは演出の意図的なことだろう。どうしても映像に出せない理由があるんだと私は考える。
 仮に田代と惣三郎が同衾している絵を入れたとすると、それで二人がお互いにどういう感情を抱いているかがわかる。そこがわかると後々出てくる様々な謎が謎でなくなってしまうような、そういうことだ。
 しかし田代と惣三郎には全く接点がないわけではない。二人には濡れ場の代わりに剣を合わせる場面がある。稽古を含めると2回も。特に最後の斬りあいの場面は、この映画一番のクライマックスである。
 とすると、この殺陣が二人の関係を表現しているのかもしれない。それは私には愛憎入り交じった複雑な関係に見えてしまうのだけど。
 田代の惣三郎に対する気持ちがマジだったというのは映画のあちこちに描かれているけれど、すっぱり抜け落ちている部分もある。
 惣三郎が多情だったことは知っていたのだろうか?
「湯沢を殺したのはおまえだ」などと言いきっているところを見ると、湯沢とのことはうすうす気付いてのだろうか?
 不実な男だとわかっていて、それでもよかったのか? それとも「そんなことがあるわけない」と思い込んでいたのだろうか?
 だったら裏切られてなぜ、あのまま惣三郎を斬り殺さなかったのだろう?
 かわいいことを言われて不覚をとったのか? あるいは、わかってて斬り殺されたのか?
 結局わからない。
 解釈を加えたところで、それは想像でしかないのだ。

自らを語らず/沖田総司
 申し訳ないけれど、沖田役が武田真治だと聞かされたとき、いまいちピンと来なかった。
 川で子どもが魚を捕っている場面の土方との会話で、「これは…」と思った。
 実は私も学生時代、新選組にかぶれて小説から資料から読みあさり歴史オタクを気取っていた過去があり、いわゆる新選組ファンが抱く沖田像というのはよく承知している。武田沖田はそのまんま、いや、乙女の想像するよりももっと複雑な奥行きがあって、そうなんですよ、こういうのなんですよ、沖田ってのは!と、新選組ファンが絶対言うこと請け合いの沖田になっていた。
 ロングカットが多くて、セリフも長く、にも係わらず、まったくもって完璧に沖田総司である。
 しかし、この心に一点の曇りもない真っすぐな爽かな青年沖田像に、疑問を抱かせてくれたのも武田沖田である。
 沖田の不思議な会話は必ず土方に向けられたものだ。土方と二人だけの場面に出てくる。それが冗談とも本音とも無意識ともつかない不思議なセリフを、土方の顔を見つめながら言う。その言葉にうろたえ、あるいは怒鳴る土方を見ては、沖田はちょっと考え込むような表情を見せ、何か思いついたような、はにかんだような不思議な表情で笑う。
 沖田の本音がわからない。
 実は原作では、惣三郎のエピソードには沖田は絡んでこない。土方の足下をすくうような物言いも、菊花の約も、この映画のために挿入された場面である。だから、ここには監督の意図的な演出がこめられていると判断していいと思うが、なんだかそれがセリフどおりには聞こえないのが、沖田のむずかしいところなのだ。
 土方との会話の中で惣三郎のことに関連して
「私には嫉妬というものはありません」
「私にはその気はないのは御存知でしょう」
とさらっと言ってのけているけれど、それは本当にそうなんだろうか?
 彼が本音だと思って言ったとしても、本当にそうなのか? ひょっとして無意識に自分を偽っていないか? 
 わざわざ近藤と土方の関係をつつくような事を言う必要なんかなかったんじゃないか? 本当はどこかで惣三郎に関心を抱いていたのではないか?
 あるいは土方と近藤と自分がこれまでに築いてきたバランスのいい関係を、惣三郎にいとも簡単に壊されたことは自覚していたのではないのか? 近藤と土方の絶対的な信頼関係の上に沖田がのっかっているのに、そしてそれは自分が子どもの頃から築いてきたものなのに、惣三郎は三人の絆をいとも簡単に揺るがしたのだ。
 それを人は、嫉妬とか憎しみとか愛情というのではないのか?
 この沖田は二十歳くらいのはずで、子どもと遊んだりするのが好きな浮世離れした男で、しかも人斬りのエキスパートである。映画では直接はっきり言っていないが、この物語の時点では労咳を病んでいる。そのせいか妙に達観したようなことを言っているが、意識にのぼってくるくることだけが、人間の本性じゃないだろう。
 語り始めると妙に冗舌な沖田の真意は、最後まで私にはわからなかった。
 そのくせ、最後は妙に言葉足らずで終わる。ちょっと忘れ物をとりに戻るような、なんでもないようなそぶりで、彼は惣三郎を斬りに行くのだ。
 これから殺しに向かう沖田の表情に、戸惑いや躊躇い、罪の意識は一見えない。この時代の人間はみな信仰深い仏教徒だ。彼は修羅道を落ちていく自分をわかっているのだろう。
 彼は何のために斬りに行ったのか? 惣三郎のために? それとも土方のために? あるいはそれは自分のためなのか?
 なぜ?
 憎んでいるから? 許せないから? 愛しているから?
 誰を?
 沖田は何も語らない。だから誰にもわからない。
 人間が動く理由なんて一つじゃないのかもしれない。

通りすぎる人にも愛はある/菅野平兵衛
 的場浩司扮するこの役は出番が短い割に印象的である。
 若いころのヤンキーなイメージもあり、こういう役はなんともハマリ役でしびれる。あの肥後訛りのセリフは地元民以外の日本人には何を言ってるのかさっぱりわからない(笑)が、凄みがあってだたそれだけでかっこいい。
 せっかくなので、この男も惣三郎に係わったということで、余計なことをここで書かせてもらおう。
 川原で惣三郎と斬りあったとき、彼はどうしてとどめを刺さなかったのか?
 あの勝負、余裕で菅野の勝ちだった。新選組にケンカを売りに来ただけのことはある。後から新選組が駆けつけてはきたが、額から血を流して視界のきかなくなった惣三郎を仕留める時間的ゆとりはあったのだ。
 絵がないのでなんとも説明がつかないが、ひょっとして敦盛状態?
 斬りつけてみたら、相手は前髪の美少年だった。しかも若くてかわいい。激プリである。それでどうしていいか躊躇った。
 もし先に駆けつけたのが肥後藩士だったら、彼はそのまま惣三郎をぶった切らなければならなかった。しかし先にやってきたのは新選組だったので、見逃すことになったのだろう。
 ちなみに彼は最初に新選組の道場を見に来ていたとき、ずーっと惣三郎を見ている。惣三郎の稽古着が一人だけ白いから目立つとはいえ、とにかく惣三郎を見ていたことは強調しておこう。
 もうひとつ余計なことをいうと、小川亭の若女将とはひょっといい仲なんじゃないだろうか? 菅野にだけ袴の着付けを手伝っていた。
 原作によると彼は北辰一刀流免許皆伝。この後、無事藩邸に戻っているそうだ。めでたし、めでたし。
 ついでに、熊本の地酒はやはり「美少年」でしょう。

加納惣三郎のすべて

誰も何も知らない
 私が最初にとまどったのは、映画のキャッチコピー「私が狂っているのか?」だった。
 このコピーが松竹の苦心作だというのはわかるが、この映画を語るには適切ではないと思う。特に惣三郎にかぶせるのとものすごく違和感がある。なぜなら加納惣三郎は、この映画の主役的立場でありながら、一人称として語られる「私が」という部分がないのだ。
 映画は最初から最後まで、惣三郎を外から見た立場で語られている。惣三郎が何を考え、どうして、なぜ、ああなったのかが土方にも観客にもわからない、これはそういう話なのだ。
 物語が土方視点になっているので、惣三郎についてはあまりにも見えない部分が多い。だから「なぜだ?」と心乱されるのである。
 こんなに可愛らしい顔をして、なんて憎らしいことをするんだ。男を何人も手玉にとって、人の人生を台なしにして、そのうえ自分の命をも粗末にして。
 映画のストーリーに沿って、惣三郎の謎と「御法度」の物語を読んでみよう。
1)なぜ新選組に入ったのか?
2)田代をどう思っていたのか?
3)湯沢をどう思っていたのか?
4)沖田に心魅かれたのはどこか?
5)山崎に魅かれたのは不実ではないのか?
6)なぜ田代に罪をなすりつけたのか?
7)願掛けとは何だったのか?
8)もろともに… 

1)なぜ新選組に入ったのか?
 この答えはわりと簡単に想像できる。土方も「何も考えちゃいない」と言っているが、それはそうだと思う。
 この時代の十代は現代よりももうちょっとオトナだと思うが、世襲制の封建社会における次男三男なんでおそらく息が詰まるほど退屈な日常だったろう。彼には強いものが勝つという剣の世界は、それはそれだけで魅力思えたはずで、動機はそれ以上でもそれ以下でもないだろう。
 少なくとも彼には生活はかかってないわけで、退屈な生活から脱して非日常の中で自分を確かめたい気持ちは、今の若者も同じだ。自分の十代の頃のことなんてもう大昔のことなんで、とっくに忘れちゃったけどね。

2)田代をどう思っていたのか?
 私は最初から最後までこれが疑問だ。
 映画のラストで唐突に、実は惣三郎が懸想していたのは沖田だったと語られる。だったら田代や湯沢、山崎は何だったのか?と言いたくなる。
 田代にはなぜかラブシーンがない。惣三郎の寝顔を見ている場面以外、ツーショットは殺陣ばかりだ。
 いきなり夜中に布団へ潜り込んできたときは合い口を突きつけて撃退?し、次のツーショット画面は立ちあい稽古、最後は川原で果たし合いである。ひょっとしてこれが濡れ場の代わりなのか?
 この二人はいったいどういう間柄だったのだろう?
 お互いの気持ちが通じ合って仲睦まじい熱々な関係だったの? それとも田代が一方的にのぼせてるだけで、惣三郎にはただの成り行きだったの?
 たとえば惣三郎は、田代について一言も口にしていないのがひっかかる。
 湯沢との逢瀬の後の赤い傘と雨の場面だけれど、あの場面、憂うつそうに歩く惣三郎は何を考えていたのだろう。「田代には言うな」と言われて素直にうなずくのは、やっぱり田代に悪いと思っているのか? それとも打ち明けたら多分怒るだろう田代が怖いのだろうか?
 この時「田代とは…あるんだな?」とその関係を念を押されても、惣三郎は答えていない。肯定も否定もしないで、張り付いたような笑みでごまかしただけだ。 
 これはあとで「田代と縁をきれ」という場面でも、田代のことをどう思っているのか、はっきりしない答えではぐらかしている。
 また山崎との会話の中で、今夜の約束を「誰と?」と聞かれて口をつぐむ。多分この時の約束の相手は田代だろうと思うが、なぜ気まずそうに押し黙るのか。何か二人の間には口外できないような約束事でもあるのか?
 しかし、山崎に「誰かと結縁しているのか?」と聞かれて、ぬけぬけと「誰とも」と答えているのだ。この時、もう田代のことはどうでもよくなっているんだろうか?
 結局、惣三郎は田代を好きだったのか、嫌いだったのか?
 最初、合い口をつきつけて拒むほど嫌がっていたのが、どうして割りない仲になったのか説明がないから、全然わからない。
 ひょっとして、惣三郎は田代が嫌いだったのか?
 望まない関係を強制された間柄で、実は怨んでいたのか。
 だとすると、他の男へ心を移したり二股かけることには何の良心の呵責もないし、田代に山崎襲撃の罪をなすりつけようとしたのも納得がいく。たまたま田代を処分する役目が回ってきてしまったが、田代の死体に二度も斬りつけているのも怨み事だったのだと思える。
 だけど湯沢を斬り捨てたのは惣三郎だ。あのままほっておけば、私闘禁止の局中法度にふれて二人とも切腹ものだから、男どもがジャマならそれでもよかったんじゃないか。惣三郎は二者択一の状況で、あの時は田代をとったのだ。
 わからない。
 人間の気持ちは揺れ動くものだから、もしかしたら最初と最後で惣三郎の気持ちはちがうのかもしれない。
 一番最初のころ、牢から出てきた田代が惣三郎を口説く場面があるが、夕刻の傾いた陽射しの中の、淡い色の画面の田代はとても魅力的に映った。乱れた髷とくたびれた着物にもかかわらず、びっくりするほど男前で、男らしい色気に圧倒されそうになった。
 この場面、実は惣三郎視点である。
 あのセピア色の画面のやさしげな田代は、惣三郎から見た田代なのだ。男らしい色気を感じてどぎまぎしてしまったのは観客ではなくて、惣三郎の方ではないのか。
 気持ちの揺らいだ彼は、だから布団の中に合い口まで持ち込んで待っていた。
 私はたった今気付いたのだが、この「御法度」という映画、落ちるところまで落ちたのは田代じゃなくて、本当は惣三郎の方ではなかったのか?
 二度も田代の死体に斬りつける場面がどうにも気になってしかたがないのだが、「全部おまえのせいだ」とでも言いたげで、複数の男と関係を持ったことも、それを斬り殺したことも、そもそも全部田代との関係から始まったことだ。そして結局最後まで自分の意志では田代との関係を切ることができなかったのだ。
 こうなると、いったいどっちが加害者で被害者なのかわからない。
 すべては「今夜忍んでいく」と言われたあそこから始まっていたのか。
 その時惣三郎は確かに激しく動揺した。それはきっとすごくエロスとかリビドーという意味で「好き」というべきなんだろうが、再三繰り返すが、何度映画を見ても解答はない。

3)湯沢をどう思っていたのか?
 湯沢との最初の逢瀬の料亭の場面。この場面の惣三郎(龍平くん)は本当に美しいと思う。なんでかわからないけど、そう見える。
 田代に口説かれたり隊士にからかわれている頃の惣三郎は、どっちかというと子供っぽい普通の男の子だ。童貞ということだからそれでいいんだけど、湯沢との料亭の場面はなぜか全然ちがって見える。この場面では田代と関係が続いているのだから、もう子供ではないという理屈だが、カレシができるとこんなにきれいになるのか。そういう感じである。
 この場面、湯沢にいきなり言い寄られ、押し倒された惣三郎のセリフはこうだ。
「人が来ませぬか?」
 前回?田代に夜這いをかけられたとき刃物を抜いて抵抗したのとはえらいちがいで、あっさり湯沢の言いなりになる。
 劇中にははっきりとは出てこないけれど、湯沢とはあの日突然会ったわけではなく、かねてから親しく話などしていたのだろうか。それで料亭に誘われたのだろう。
 このとき惣三郎の着物の半襟がいつもと違って白い。祇園に行くというのでめかし込んできたのか、それが楚々としてかわいらしく色っぽい。
 惣三郎は湯沢に好意を持っていたのかもしれない。
 湯沢の口説き文句は「君を抱いて明けの烏を一声聞けば、寿命が縮まってもかまわん」というちょっと風流?なもので、いきなり力技できた武骨な田代とはちがう。
 その後、田代に隠したまま関係が続くのは、やっぱり惣三郎も好きは好きだったのかという気もする。話の流れからいって武田観柳斎は相手にされてなかったようだし、狂言回しのような役回りに見えて湯沢、悪い役ではなかったのだな。
 惣三郎が湯沢をじゃまになったのは、湯沢が三角関係を解消しようと思った時だった。この時点で惣三郎には湯沢を捨てた。
 だけど湯沢を斬ったその動機はよくわからない。
 田代の方が大事だったから? 局中にもめごとを起こすのがイヤだった? どうせなら自分が斬ろうと思った?
 三角関係を続けていれば、いずれどこかで破綻するのは予想できたわけで、それを湯沢の命であがなって、彼は問題を片づけたつもりなのか?
 田代に斬らせるのなら簡単なことだ。湯沢が自分にひどいことをした、と田代に訴えればいいのだ。そしたら血の気の多そうな田代は怒って湯沢を斬りに行くだろう。 しかし惣三郎は自分で斬っている。自分が斬りたかったのか?
 自分が食った男を自分で斬る。これはそういうことなのか。
 そしてそれで惣三郎は満足したのか。
 湯沢は後ろから斬られている。振り返った彼は自分を斬った相手を見ただろう。それが惣三郎だったとして、彼は「なぜだ?」という理不尽な思いと、そして「そうだったのか」という納得した気持ちを両方抱いて死んだはずだ。
 納得した気持ち、それは惣三郎の「死ね」という意志だ。理由はどうでもいい。惣三郎が自分に死を望んでいるという厳然たる事実に、何の迷いもなく事切れただろう。
 これは多分田代も同じだと思う。
 
4)沖田に心魅かれたのはどこか?
 この映画最大のミステリーはこれだ。
 最後に土方の口から語られる衝撃の真実?「惣三郎が沖田に懸想していたのか」。いったいこれはどういう意味だったのだろう?
 土方がこう考えた根拠は「菊花の契」の後の幻想シーンだろう。
 そもそもこの幻想シーンは何だったのか? 土方の想像? あるいは第六感?
 いや、そうではないだろう。あれは、この世ではない空間の揺らぎのようなところで垣間見た情景だ。そこでは魂が生き霊のようになって、想い人のところへ飛んでいくのだ。
 「ちがう」と否定していたけれど、土方の気持ちはやはり惣三郎のところへ向かっていた。
 沖田もそうだった。でも彼は惣三郎と距離を置いて、慈しむような目で見つめているだけだった。沖田は否定しているけれど、この映像を見ると、深層心理では惣三郎に魅かれるものがあったのだろう。でも沖田は自分で気付いていないのでは?と思わされる。
 そして次に現れた惣三郎は禍々しいほどに真っ赤な小袖姿で、今にも沖田に食いつかんばかりに見つめるのだった。
 この映像を根拠に、沖田の深層心理が惣三郎に向いていたと解釈するなら、惣三郎の魂も沖田に向かっていたのだと解釈するのが正しいということになる。これは真理を映した情景なのだから。
 では、惣三郎の沖田への気持ちというのは映画のどこに出てくるのか?
 私はこれがわからなくて、何度も映画を見る羽目になった。龍平くんの演技が悪いのか、それとも監督の陰謀か、実は全然わからなかった。今でも謎だ。
 惣三郎が最初に沖田に会うのは、入隊試験の立ち会いの時だ。沖田の強さを実感する場面でもある。この時か?
 しかしこの場面は、土方と近藤が試合を見ている形式の画面で、沖田の顔はあっても、惣三郎の表情はよく見えない。
 途中で惣三郎の気持ちが膨らんでいったとも考えられる。しかし彼らはほとんど会話していない。井上のことを聞く場面があったが、あれは原作通りのセリフで、この時別に惣三郎に変わった様子はない。
 そもそも沖田が一番魅力的に描かれているのは、ほとんど土方と話している場面である。「狂人の親玉だ」も「あなたが悪いんですよ」も「菊花の約」全部土方との会話だ。だから惣三郎と沖田の接点は全然見えないし、沖田はやっぱり土方の方を見ているとしか思えないのだ。
 けれど、あの赤い小袖の惣三郎はどう考えればいいのだろう?
 あのたったワンシーンのために染めたという真っ赤な小袖。あれが真実を語っていないということはないだろう。
 血のように赤い小袖を素肌の上に直に着付けた惣三郎の、襟の合わせからのぞく真っ白な胸。
 赤は美とエロスの象徴とパンフには書いてあったが、この惣三郎の姿は禍々しい欲望の象徴にしか見えなかった。今にも沖田に食いつきそうな様は、男を喰らって生きる美しい魔物か鬼神のようだった。
 それは懸想などというかわいい感情ではない。彼は、田代や湯沢の時と同じように、セックスをして、最後には斬り殺したいという欲望を沖田にも向けているのか。
 そう考えると、彼はやはり彼は土方のいうとおり「化け物」だったのである。
 しかし映画のどこを見ても、黒い隊服を着た惣三郎がそんな素振りを見せる場面はない。ひょっとして沖田への気持ちは、無意識だったのだろうか?
 欲望に理由などない。
 この謎は私には永遠に解けないだろう。

5)山崎に魅かれたのは不実ではないのか?
 もし沖田に心から魅かれているのであれば、山崎を誘って遊廓へいくなどもっての他である。なのに、惣三郎はこのとき明らかに山崎と楽しい夜を過ごすつもりだった。しかも、自分から誘ったりしている。
 さらに付け加えると、田代との関係はこのとき不明で、ひょっとしたらすでに過去形だったのかもしれないが、とりあえず切れてはいなかった。(約束があるという相手は多分田代と思われるから)
 そういう状況で、いくら山崎に地位があり腕が立ち、インテリでもあり、人柄もいいとはいえ、楽しそうに遊廓に出かけている。君は田代くんや心の人・沖田くんを何だと思っているのだ?
 しかしこの場面、山崎との会話から遊廓への道行き下りにかけて、惣三郎(龍平くん)はもんのすごーくかわいい顔をする。
 私はここで完全にノックアウトを喰らったので言わせてもらう。男を誘惑するとか、魔性の美少年とか、そういうレベルじゃない。それはこの世のあらゆる道理をねじ伏せるような、動物本能的な衝撃映像だった。
 哺乳類は本能的に、年少者を可愛いと感じるプログラムを持っている。「かわいい」という感情は哺乳類特有の本能なのだ。
 この場面はずばりそれで、にっこり笑いかける邪気のない、脳みそ真っ白な(笑)笑顔は、龍平くんがこの年齢でなかったら絶対にできない顔なのだ。
 原作の多情な惣三郎的にはちょっと違う気もするが、これはこれで理不尽なほど可愛いので許す。
 多分演じている龍平くんも何も疑問を感じてないんだろう。ただ単に「山崎さんは好きです」「島原へ連れてって」その言葉だけだ。
 この晩の惣三郎は、山崎と遊びに行くことしか考えていない。あとで田代が知ったら怒るだろうか、とか、本当は自分は誰が好きなのか、なんて全部頭から飛んでいるのだ。
 そういう人間を不実という。
 しかし惣三郎本人は、そうは思っていないだろう。もしかしたら5分後には気が変わっているかもしれないが、たった今「山崎さんは好きです」と語った言葉は嘘ではないのだから。

6)なぜ田代に罪をなすりつけたのか?
 これはかなり入り組んだ謎である。
 山崎に袖にされた怨みで、惣三郎は夜道、奉行所帰りのところを襲撃する。剣の腕は山崎の方が上だから、よもや討ち取れるとは思ってなかっただろうが、一太刀でもという気持ちもあったかもしれない。しかしそれも無理で、結局田代の小柄を置いてくるだけに終わった。
 問題は、山崎を襲う動機よりも、どうして田代の小柄なんかを持って行ったのか、である。つまり、山崎襲撃に成功してもしなくてもこの場合、最初から田代に罪をなすりつけるつもりだったのか。
 事件は島原へ出かけた翌日の宵のことだ。惣三郎が闇討ちを思い立ってから田代の小柄を盗みに行くというのは、時間的に無理がある。しかも山崎が奉行所へ出かけたのは、客人の来た後だから午後だろう。惣三郎が山崎の予定をあらかじめ知っていたとは思えないので、襲撃を思いついたのは午後ということになる。
 小柄は刀の一部だから、そんなものを盗まれる間抜けは、寝てる間の田代しかありえない。前の晩外出していた惣三郎には田代の刀に触る暇はなかったし、また翌日も忙しい一番隊にいた田代が刀を置いて出かけていたとはとても思えない。人の刀をむやみに触っていれば怪しまれるだろう。
 だから、つまり、惣三郎が小柄を抜き取ったのはもっと前だったのだ。
 なぜそんなものを持っていたのか?
 勝手に抜き取ったのはまちがいない。好きな男の持ち物だから?
 田代の刀は直刀に近いようなちょっと変わった形をしていて、意匠も飾り気のないシンプルなものだ。その時は田代が好きだったので、欲しかったのか?
 盗ったのは逢瀬の時だろう。今までずっと持っていたのか。 
 惣三郎はどうも先の見通しで動く人間ではないようなので、たまたま、まだ持っていた田代の小柄を使うことを思いついて、罪をなすりつけただけなのかもしれない。
 ただ、この場合、山崎監察を自分で斬れるかどうかはわからない。だとしたら、それはついでに田代に罪を着せるだけを目的とした行動だったとも思えるのだ。
 もう惣三郎の気持ちは、田代から完全に離れていたのか。
 そうまでして田代と切れたかったのか。
 もちろん劇中ではそこまで言ってない。しかし惣三郎の思惑通に行けば、田代は山崎監察襲撃犯として目の前から消えてくれるはずだった。
 この時、二人はどういう関係だったのだろう? もう疎遠になっていたのか? それともまだ頻繁に逢瀬を重ねていたのか?
 よくわからない。田代は一番斬りあいの多い一番隊所属だ。どこかで命を落とすことだってある。ほっておいても、いずれ切れたんじゃないか? 
 惣三郎は、やはり心変わりしていたのだろうか。
 なぜ?とは言わない。人間の心は動くものだ。永遠の愛だの、不変の愛だの、そんなものがあるわけがない。だから心変わりしたとしても惣三郎が悪いとは思わない。
 しかしこのやり方はないだろう。組織の権力にまで頼らないと、自分の意志では田代とは切れないのか。

7)願掛けとは何だったのか?
 今度ばかりは神仏も惣三郎の不実をお許しにはならなかったようで、惣三郎は自分で田代を斬る立場になった。
 これは彼には予定外だったろう。
 とりあえず田代がいなくなってくれればそれでよかったはずが、ここで斬るという世にも魅力的な役目を与えられて、彼の気持ちは決まった。湯沢の時の同じように彼の命であがなって、田代との縁を終わらせるとでも思ったのだろうか。
 ここで原作にはない奇妙なやりとりが出てくる。
「前髪を切りたまえ」という土方に対して、惣三郎は「今しばらくの御容赦を」と答える。さらに「なぜ?」と聞かれて、
「願を掛けております」
と答えるのだ。
 惣三郎の願掛け。いったいそれはなんだろう?
 そもそも疑問なのだが、惣三郎は最初から願掛けのために前髪をつけていたのだろうか? もしそうなら、それは沖田への懸想がその理由と思えるのだが、前にも書いたように、どうもここらへん沖田関係ははっきりしない。
 それに彼は新選組に入る前から前髪がついている。
 彼が前髪を落とさないまま新選組に入ってきたのは、それはやはりただのかっこつけか、つっぱり程度のことだろう。慌ててオトナにならなければならない身分ではなかったし、将来のことなんか考えてないような男だ。それに前髪がついていれば、子どもとして扱われる。回りのオトナたちがちやほやするのも悪い気はしない。
 前髪を残していたのはせいぜいそんな理由だろう。
 新選組に来てからは、少なくとも自分に前髪がついているうちは田代は絶対に離れていくことはない、そういう確信があったかもしれない。
 その意味では彼にとってはお守りのようなものだったかもしれない。
 しかし、ここで彼ははっきり「願を掛けている」と言った。昨日までそんなこと考えてなかったとしても、たった今口にしたからには何か思うことがあるのは事実なのである。
 それで、それが何だったのかは結局わからない。
 場面は、今晩これから果たし合いに行くというところだ。生死の確率は五分五分。
 この場合、田代の死はどっちに転んでも確定だ。沖田と土方がついてくるから、もし自分が斬られたとしても田代は彼らに斬られる。自分が田代に勝った場合、やはり彼は田代との関係を終わらせることができる。
 つまりこの状況では、自分の生死に係わらず田代とのこの世での縁は切れるのだ。
 じゃあ彼の願うことっていったいなんだ?
 それは、満願成就のあかつきには、はれて前髪を落として大人になるのにふさわしいようなことなのか?

8)もろともに… 
 そして、これが最後の謎かもしれない。
 最初に何気なく見ていると聞き漏らしてしまうが、田代と斬り合った惣三郎の最後のセリフは、実はこう言っている。
「もろともに… もろともに…」
 裏切られたと思った田代の怒りはすさまじく、惣三郎は田代に押し込まれてあと一太刀で終わりという状況になる。この時、惣三郎がつぶやくのだ、もろともに…と。
 これを言われた途端、田代はうろたえたような無防備な表情を見せ、隙だらけになる。そこを惣三郎に小刀で胴を払われるのである。
 田代は川原でゆっくり前のめりになって、絶命する。
 時代劇の決闘シーンとしては、前代未聞の結末だろう。
 この場面は様々な謎をはらんでいる。
 なぜ惣三郎はこんなことを言ったのか? 無意識か?あるいはわかってて言ったのか?
 田代はどうしてあのまま惣三郎を斬り殺さなかったのか? この言葉を言われてどうしてやめてしまったのか?
 彼は無様に不覚をとったのか? それとも惣三郎に斬らせたのか?
 このセリフの意味はよくわからない。
 実は原作には、ここはセリフはない。惣三郎が何か言ったとはあるが、何と言ったかは書いてないのだ。それでは映画にならないので、監督が考えて入れたのだろうが、こういうセリフになっている。
 沖田は聞こえているのかいないのか、多分閨で戯れ交していた睦言だろうと言っている。
 他に想像できないので、沖田の言を信じるなら、それは多分アレのときに惣三郎が無意識に口走る言葉なのかもしれない。とすると、惣三郎は自分でわかってて言ったのではないことになる。聞こえたとしても沖田はなんとも思わないが、田代はその顔も見てるわけだから大いにうろたえたのだろう。
 あるいは、惣三郎は心中を誘っていたとも考えられる。この言葉をつぶやいた時、惣三郎は観念してまるで念仏を唱えているように見える。諸共に… 私を斬ったらおまえも一緒に死んでくれ、という意味だったのか?
 いずれにしても田代、あんなに怒っていて、さっきまで本気で斬り殺すつもりだったのにやめてしまう。
 もし田代に心中する覚悟があるなら、さっさと惣三郎を叩き殺して自分もその場で腹を切ればよかったのだ。
 だが、それすらできなかった。
 かわいい顔で言われて、うろたえ、不覚をとる。それは迷いとか未練というのだろう。
 この男は結局最初から最後までそうだったのだ。
 合い口をつきつけられて「そなたと寝ずに死にとうない」と言った。じゃあ今はもう死んでもいいと思っているかというと、そうじゃない。彼の考えているのは、心中のようなことで二人のつながりをあの世に持っていくことではなくて、現世にしがみついて、ここに惣三郎をつなぎ止めたいのだ。
 だから惣三郎を刀にかけるなんてことはできるはずがない。さっきは激情にかられて殺すつもりだったが、アレの時を思いだした途端、そんなことはどうでもよくなってしまうのだ。
 これはなぜか湯沢もそうだった。彼も惣三郎を絞め殺そうと思ったが、結局はできなかった。
 煩悩とはそういうものだろう。かわいいとか愛おしいという気持ちが勝ってしまう。そしてそれは現世に留まっているからこそ感じられるもので、男とはかように迷う生き物らしい。
 田代の死に様について、演じた浅野氏は、自分的には心中なんだと言っている。惣三郎は一緒に死んではくれなかったが、気持ち的にそれは何だかわかるような気がする。
 「諸共に…」が心中を誘っていたのかはわからない。しかし小刀を抜いた惣三郎には明確な殺意があった。少なくとも田代がそれを納得して死んだのだと考えれば、それは殉死だろう。惣三郎がこういう奴でも、やっぱり愛おしかったのだ。
 今突然思ったのだが、ひょっとすると、刃物を抜いてまで抵抗した惣三郎を落とした口説き文句は、「一緒に死んでやる」とかだったのかもしれないな。

9)惣三郎はどこへ行くつもりだったのか?
 田代が倒れてからの場面は、ずっとロングのまま続く。遠くから一部始終を見ていた土方視点だからである。
 田代を斬ったあとの惣三郎の表情は一切出てこない。土方からは見えないのだ。
 彼は田代に二度斬りつけたあと、首に刀を入れてとどめを刺し、浅瀬に落とした自分の刀を拾って収めると、振り返りもせずすたすたと去っていくのである。二度斬りつけたとき以外、感情らしいものは一切なかった。
 彼はすっぱりとこの男を捨てたのだ。
 このあと惣三郎はどこへ行くつもりだったのだろう?
 しばらくして沖田が追いついてきて、彼は川原で斬られて死んだと想像されるが、それはあらかじめ覚悟していたことだろうか? あるいは思いもよらない突然の死だったのだろうか?
 彼は命令で田代を処分しただけだ。自分が斬られるという状況を想像しただろうか? ただ単に屯所に戻るつもりだったようにも見える。
 それとも惣三郎は最初から田代に斬られて死ぬつもりだったのだろうか。だとしたら死に損なった惣三郎にはもう行くところがない。感情の欠落したような行動はそのせいとも言える。
 ただ気になるのは、沖田が突然思いだしたように中洲へ戻っていく場面だ。
 あれは惣三郎を斬りに行ったのはいいとして、今から行って間に合うのか? もう惣三郎は帰っちゃったんじゃないのか? という疑問が浮かぶ。斬り合いでほてった体を冷やしながらまだ川原を歩いているとしても、この宵闇の中、惣三郎がどこにいるのか沖田にはわかるのか?
 沖田は惣三郎とどこかで落ち合う約束をしてたのだろうか?
 いや、約束というほどではないかもしれない。どこそこで待ってる、と惣三郎に告げられていたとしたら。
 そう考えると、沖田の後ろ姿を見送りながら「惣三郎が沖田に懸想していたのか」とここでわざわざ土方が言う理由も、これに気付いたからだとも思える。
 沖田が惣三郎をはっきりとキライだと言いきっているのも、これなら説明がつく。田代との信義を通さない惣三郎は、彼にはきっと許せないものがあったんだろう。

 鈍感な私は、映画を見てから二ヶ月以上経って気がついたことがある。
 「願を掛けております」の後のだが、夕刻のあかね雲が激しく流れていく情景のところ、惣三郎がお堂の階段のところで一人座り込んでいる場面があった。あれを私は今まで、これから田代を斬るということで、あるいは願掛けのついでかなんかで、何か一人で考え込んでいる惣三郎だと思っていた。
 しかし惣三郎はものを考えて動く男ではない。
 ひょっとして、あれは人待ちをしていたのではなかったのか?
 もしあれが人待ちなら、その人はとうとう来なかったのだろう。

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